誰かが僕にいったように。

四歳で自殺願望。
黄色いそふぁ。

おとうさん。
おおきな刺身用のおさらと包丁が
罵声とともに降って来て
粉々に割れました。
ノイズでした。

 
僕が行きたくもないのに
おとうさんと
おかあさんに喧嘩をやめてほしくって
トイレにいきたいというと
おとうさんとおかあさんは かつてはお皿だっ

上を。。。・。」:。;
すりつぱであるきました
僕をかかえて。
そこで きおくはぷちん。


 
四歳で自殺願望。
おかあさんのうえにおとうさんがすわっていました
くびおしめて おかあさんがにんぎょうみたいに
じめんにたたきつけれssrthjkいました。
ぷつん。




四歳で自殺願望。
おかあさんが くちからちをふとんにはいてました。
六歳くらいまで 僕は真っ赤な布団で悪夢をみました。
ぷつん。



四歳で自殺願望。
僕は 好き嫌いが激しくてどうしても
鶏肉がたべれなくて 閉じ込められました。
たべるまで出してくれないといわれたので
窓からなげすてました。



四歳で自殺願望。
おかあさんが 僕をぶちました。
焼き飯をのこしたからです。



四歳で自殺願望。
おとうさんがないていました。


四歳で自殺願望。
ガラスが割れました。
お母さんの腕がちだらけでした。


四歳で自殺願望。
五歳でも 六歳でも 十六歳でも自殺願望。



別にそのときは ぜつぼう なんて言葉も
知らなくて リストカットも自殺の意味も知らなかったのです。
四歳がそんなことしってるわけないですから。
ただ僕は希望に満ち溢れていました。
両親は 僕を愛していると決め付けていたから。
僕がしんだら喧嘩もなくなるっておもってたから。
そうだ 鶏肉見たいにぼくもとんでみよう。
そしたら 大好きなおかあさんもおとうさんも喧嘩をやめてくれるよね^^
純粋だった僕のささやかな希望でした。

 
 
今ならわかります。
あの人たちは あの人たちなりに
完璧を望んだ欠落だったと。
母は 完璧な愛を望み、僕を育てたつもりだけど
みせかけの仮面母子でございましたし。
父親もまた、僕を手厚く育てることで
女人受けがよかったとお見受けいたします。
そう 僕は道具でゴミ箱でしかなかったんですよ。
僕の心中に植えつけられた犠牲の芽。
消えることもなく。
 
 
でも 誰かさんは 幾年か前の11月にいったんです。
もっとつよくなりなさい。



僕には 無理ですよ・・・・。
過去を背負って歩き続けることも・・・・
過去を無視してお気楽を気取ることも・・・。
悪夢が追いかけてくる。


年をとるごとに鮮やかだ・・・。
記憶は・・・。